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6月, 2012の投稿を表示しています

韓国ガールズグループの新生「A Pink」

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韓国ガールズグループネタなんですが、A Pinkがいい具合に勢いに乗ってます。新人賞ほとんど総なめ状態(*1)ですからね。向かうところ敵なしっていう。 韓国ガールズグループの現状を言うと、やたら乱立している割には次世代がなかなか定着していなかったりするんですが、このA Pinkはデビューして1年あまりクオリティが一定しているので、今後もまだまだ期待できそうです。 *1)  A_Pink > Awards and nominations|wikipedia

Burial / Thom Yorke / Four Tet - Ego

おなじみのBurialとFourTetのコンビにRadioheadのThomYorkeが参加。 痺れます。

日本人は今すぐ連続ドラマ「マグマ」を見るべき

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WOWOWのオリジナルドラマ「マグマ」が熱い。 ■原子力の影にかすむ地熱発電の現場を鋭く描く 「マグマ」の原作は、「ハゲタカ」でも知られる真山仁がエネルギー政策にスポットを当てた名著で、原子力発電の影ですっかり落ちぶれてしまった「夢の地熱発電新技術」に人生を掛ける企業を起点にして語られていく。 真山仁作品の魅力である“極めて現実的な世界観さえ串刺しにする熱いメッセージ性”は健在で、自由主義経済下の厳しい現実の中で、愛する人や生活を守らなければならない不安と葛藤を抱きながらも、止むに止まれぬ使命のために邁進していく熱き人々の生き様が描かれていく。 ■「ドラマ化できるとは思わなかった」 真山仁はインタビューの席で「まさかこの題材がドラマ化できるとは思いもしなかった」と発言していることからも、今の日本にとって非常にナイーブな内容が含まれていることがうかがい知れるだろう。 原作は東日本大震災及び福島原発事故(以下、311)の起こる以前に書かれているため、ドラマ化にあたって真山仁自らの要望で311後の設定に手直しされている。また「原発=悪」「地熱=救世主」という単眼的な視点で語られたくないとの理由から、原発と地熱発電の専門家をドラマ製作陣に紹介するほどの力の入れようである。 ■WOWOWの差別化戦略がオリジナルドラマを面白くしている WOWOWの連続ドラマW枠の基本姿勢は、民放に手の出せない題材を取り上げることで差別化を図るという一貫性の下に制作されており、これまでも抜群に面白い社会派ドラマをいくつも世に送り出してきた。しかしながら、いま放送中の真山仁原作「マグマ」ほど、この方向にマッチングした傑作はなかったのじゃないかと思う。 ■民放には扱いづらい題材 民放は、スポンサーからの広告費に依存した収益モデルであるがゆえに、どうしても広告主に配慮せざるを得ない性質を抱えている。つまり、主要なスポンサーに電力会社がいる場合、それは潜在的なプレッシャーとなってしまう。しかし、視聴者からの視聴料で運営されているWOWOWにはその制約がない。本作は、まさにWOWOWのために用意されているような題材と言い切ってしまって良い。 これがWOWOW加入者にしか見られないのは悲劇だ。なんとかドラマ単体で購入することは出来ないのだろうか。DVDを早めに出すなどし

「家族のうた」が失ったもの

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■「家族のうた」素晴らしかった。 エンドロールを見ながら泣いたドラマなんていつ以来だろう。しかし、放送開始から視聴率は低調のまま推移し、結果的には8話打ち切りに方針転換してしまったことが僕は残念でならない。 このドラマを途中で打ち切るという中途半端な対応は、近年稀に見る歴史的低視聴率という注目度を最大限に生かし切れないと思うのだ。 その理由を説明するにはまず、前提として「家族のうた」がクオリティの高い作品であるという事実を共有する必要がある。しかしそれはとても難しいので、今は第1話だけでも見てください。と言っておく。 ■DVDが発売された時の展開を仮想してみる。 もし打ち切らずに放送していた場合、「低視聴率ばかりが注目されたけど、あれ実はめちゃくちゃ面白いんだよ」という並のドラマでは切り込めない訴求性を最大限に活かすことができたかもしれない。これは作品が本当に面白いものであればこそ、ネット上でも存在感を維持したまま広く伝播する可能性が生まれる。途中で打ち切ったことで、この訴求性は劇的に威力を失ってしまった。 なぜか。端的に二つある。クオリティを下げてしまったこと。そして視聴者を裏切ったことだ。 ■制作者たちのもっとも理想とする演出の否定 今回の打ち切りというフジテレビの決定は、既に撮影が終盤に差し掛かった時期になって下されている。それはつまり、既にかなりの撮影が終了している時点から脚本と演出を練り直さなければならないということであり、いくら上手く短縮したところで、クオリティの低下は免れない。 たとえもし早い段階から打ち切りの方針が決まっていたとしても、制作者たちが企図したプロットは曲げられてしまった事実は変わりようがない。 ■裏切られた制作者の意欲と視聴者の期待 どのような経緯で打ち切りが決まったのか、僕には想像すらできないけれども、制作者たちの意欲を削ぎ、クオリティを下げ、更に毎回楽しみにしている視聴者を裏切り、結果的には今後の販促の重要な要素を逃してしまった彼らの行動は、信頼も、金の卵も、みすみす手放す選択だったのだと僕は確信している。

映画「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」はもっと注目されて良い

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本日、三島由紀夫の最期を描く「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が公開される。これは、日本映画史上とても意味のある映画といって良い。 今まで、彼の最期を描いた作品といえば、1985年に公開された 「Mishima: A Life In Four Chapters」 を挙げるしかなかった。これは、ルーカスとコッポラという偉大な巨匠2人が関わった大作なのだが、日本人制作とは言いがたい上に、日本では未公開であった。 つまり、日本のスクリーンで三島の最期を描いた作品が流れるのは史上初であり、さらに、日本人監督によって描かれた作品が公開されるのもまた史上初なのである。 最後にひとつ。 三島由紀夫の壮絶な最期を字面で追えば、それはただの狂気に見える。けれども、そのような心理状況に達するほどの痛烈な危機意識と憂いに、僕たちはもう少し理解を示してもいいのではないだろうか。彼が命を賭して示したかった思いは、多くの人が知って損のないものだと僕は確信している。 今回の作品で、若松監督は、彼や当時の日本をどのような解釈によって描いているのか、非常に興味深いです。