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9月, 2012の投稿を表示しています

「女子アナの罰」という古くて新しい番組

「女子アナの罰」というバラエティ番組がTBSで放送している。すこぶる評判がいいらしい。

女子アナの罰
毎週金曜日深夜25:25から内容は「毎回女子アナが対決(ガチンコだったり、ドッキリ形式だったり)をして、敗者はひどい罰を受ける」という非常に下品な深夜帯の番組なんだけど、放送作家さんがあの「たけしの元気が出るテレビ」のディレクターさんだったそうで、その雰囲気はヒシヒシ伝わってくる。ただ決定的に違うのは、身を削るのが芸人から女子アナに置き換わっている点。その意味で懐かしいながらも新鮮。非常に楽しめます。

現状、TBSの女子アナは、知名度でフジテレビに圧倒的な差をつけられている。これに対抗するなら、フジテレビには絶対に出来ない方法を選ぶのが手っ取り早く、懸命だろう。だからこそTBSはこういう番組で攻めようと決心した。何しろ対決自体がもうすでに罰ゲームじみている。


女子アナとは社員であるから、きっと番組の面白さからは想像もできないほどの企業としての決断があったのだと思う。もしかしたらゴールデンタイムや、もう少し視聴率の稼げる時間帯に放送したかったかもしれない。目一杯頑張った結果が深夜帯だったんだろう。

しかし実際、これによって僕はTBS女子アナを何人か知ったし、可愛らしいなと思うようにすらなった。成功している。TBSの戦略は少なくとも僕をとりこにしている。気が向いたら、ぜひ一度見てみてください。

東京駅がスクリーンになる日

昨日、東京駅をスクリーンにして行われた3d Projection Mappingの模様がアップされていた!!

これはなんだろう、予想以上に興奮しますね。東京丸の内、しかも東京のシンボルでこんな遊び心満点の企画が行われる。内容以前に、その心意気に鳥肌が立ってしまった。本当に素晴らしい!!

映像はCanvasが手がけています。
「キャンバス」は新進の映像作家に自由な表現の場を与えるプロジェクト。
Canvas2.0.0
光、電気、電力。それは決して悪ではない。もし悪としての要素があるとすれば、それは未来を慮らずに原子力を推進したアメリカ、それを後押しした人たち、そして追随してしまった我々が、子どもたちにもたらした現状に対して想起されるニュアンスであると僕は思う。

端的に言えば、正邪が存在するのは科学技術そのものではなく、それを扱う人間の方にある。

電気そのものは近代文明の礎であり、さらには夢や希望や豊かさを与えてくれた最も主要な発明であったし、きっとこれからも我々を照らし続けるに違いない。もう一度心から光と戯れるために、我々はそれを生みだす技術について真剣に考えなければならない。

もし我々が、未来へ駆け上がる推進力(つまり夢や希望)の内に、現状を改善する答えを見出せるならば、まだこの末期的な状況をどうにか克服する可能性があるかもしれない。それだけの力を、きっと日本は培ってきたと信じて、僕はこれから生きていこうと思う。

そんな個人的な思いすら後押ししてくれるこのイベントに感謝したい。いやあ、これは本当に生で見たかったなあ。

ますます進化するヒューマンビートボックス最前線

久しぶりにヒューマンビートボックスの映像を見て度肝を抜かれてしまった。
取り上げる動画は世界大会のセミファイナルです。向かって左が今大会の優勝者Skillerです。

この人たちなんなの。最新のElectronicaに柔軟に対応している。

少しボリューム大きめで聞くのがオススメ。本当にすごいの一言ですね。

「そうだよアホだよ」

「そうだよアホだよ」これに反応できる人は僕と±10くらいの年齢ではないかと思う。そう、パーク・マンサーですね。この頃の「学校へ行こう!」は本当に最高だった。

特に「軟式globe」は当時とんでもない大爆笑をお茶の間に届け続けて、結果的には小室哲哉とKEIKOの結婚式で本家とも共演してしまうわけだけど、globeに負けず劣らず未だにコアなファンがたくさんいて、僕も確実にその一人です。

以下は、有志が「軟式globe」全バリエーションをつなげてくれた動画です。多分これでまた新たなファンを創出しているに違いない。

ちなみに1時間近くありますw

軟式グローブ(学校へいこう"B-RAP HIGH SCHOOL")

ブラジル金採掘者によるヤノマミ族虐殺の件

ベネズエラ大統領 ヤノマミ民族の虐殺を否定|VOR
ベネズエラのチャべス大統領は、同国アマソナス州の密林地域で先住民のヤノマミ民族が虐殺されたとの情報について、証拠は見つからなかったとする声明を表した。ヤノマミ族と言えば、2009年に放映されて大きな話題となったNHKスペシャル「ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる~」(文化基金賞優秀賞受賞)で既知の方が多いかもしれない。

この作品は、アマゾンに住むヤノマミ族に密着し、その習俗を我々に伝えるという、記録映像としては比較的スタンダードなものだったのだが、そこに映っていた彼らの「特殊な行為(*1)」が、文明社会に生きる我々の「倫理の深部」をマシンガンで狙い打ちするような痛烈な内容であった為に、TV放映後に劇場公開されるほどの人気を博した。

今回、このヤノマミ族の一部族(ベネズエラ側に住む集団)がブラジルの金採掘者によって虐殺されたとの情報が出され(*2)、これに対してベネズエラ政府は、調査の末「証拠はなかった」と結論する声明を発表した。ただ、調査方法の記述が記事によって違う(*3)ため、僕のような市井の人には真相が全くわからない状態。

ブラジルと言えば次期オリンピックとサッカーワールドカップの開催国ですからね。これはちょっと注視する必要があるかもしれない。
*1) 気になる人は見たらいい。( NHK-DVD ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる~[劇場版]
*2) ヤノマミ族関係者からの情報とさているが、非常に曖昧。
*3) 例えば今回取り上げたVORとロイター

高齢化社会における秀逸な宣伝文句

いま、90歳以上の高齢者の書籍が立て続けに出版されているそうだ。

僕ははじめ、どうせまた高齢化社会を考慮して、多くの人々に訴求できるビジネスを考えたのだろうと思った。
しかし違った。今回の謳い文句、それは「戦前戦中戦後の激動を知っている日本人の声を聞ける内に聞こう」というのである。

正直、やられたと思った。浅はかな自分が恥ずかしくなった。

確かに前者の理由がないわけではないだろう。しかし、後者の訴求性は日本人にとって並大抵なものではない。様々な主義思想を持つ人間がいる世の中で、その偏りなく、誰もが彼らの体験談には耳を傾けたいと思うだろう。誠実さとビジネスセンスが共存している訴求性に僕は感嘆してしまった。

消費税反対。原発ゼロ。そういった一部のイデオロギーや危機意識に訴える安易なビジネス戦略が跋扈する現状において、これは一歩も二歩も抜きん出た秀逸な宣伝文句ではないかと思う。

韓国ガールズグループの新人「FIESTAR」に注目してみる

つい先日デビューした「FIESTAR」という韓国ガールズグループがいる。

扉絵にしたリーダーのJeiちゃんがとっても可愛くて、行きつけの飲み屋さんの看板娘に若干似ているんだけど、まあそんな内輪ネタはいいとして、とにかくMVを見てほしいんだけど、K-popお得意のストーリー仕立てを活かして、欧米で大人気の最新CGを駆使したギフト(超能力)を使う人物を登場させるという、流行をガッツリ踏襲したパクリ系の作品になっています。



この「パクリ」というのはよくやり玉にあげられがちなんだけど、まず留意すべきなのは、パクリをパクリと認識させるには、既に相当の技術力とセンスがなければならない。そしてパクリが本家と同様に技術を使いこなす時、そこにオリジナルの種が萌芽する。

本質的に、人は真似事から入る以外に、新しい創造のニュアンスを獲得する術はほとんどない。このMVは、ネタとしてパクっているかのようにして本場の演出・エフェクトを使いこなしてそれを根拠付けている。いや、これはもうむしろネタだ。これは日本人よりも欧米の若者たちこそが実感するだろう。

加えていちいちJeiちゃんが可愛い///

このMVでしびれないなら、僕にはもうあなたをこの世界に誘う材料がない。いや、うそついた。まだ結構あるわ。

韓国テレビ局にみる革新性

음악중심 : KARA - Pandora, 카라 - 판도라, Music Core 20120825


KARAの新曲「Pandora」の映像がすごい。

何が「すごい」って、たった一度しか流されない音楽番組の、それもたったひとつのグループの映像を、ミュージックビデオ並のクオリティで制作しようという革新性です。

なぜそんな手の込んだことをするのか、日本のテレビ局には理解できないかもしれない。

しかしただ、この動画が番組を制作した「MBC」自身の手によってネットにアップロードされている事実と、これ以上の画質では公開できない最高の状態で公開している事実を合わせて勘案すれば、戦略的にネット文化を許容し、有効活用しようとする明確な意志が見えてきます。

外交や財政等々、韓国にはいろいろあるけど、本当にいろいろあるけど、デジタルコンテンツ界隈の尖った試みに関してだけは、混じり気のない賛辞を贈りたいと思う。本当に素晴らしい!

映画「ニッポンの嘘」を見てきた

映画「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~」見てきました。

予告編の中で彼が発している言葉のどれもに、僕は強烈な説得力を感じてしまって、もう本編を見るしかないと確信したんだけど、その理由が明確に示されていました。

彼は責任の意味を知っている。反抗がもたらすものと、その為に犠牲にしなければならないものを知っている。そうして90歳に至る今まで、自分の信じる道を貫き続けている。彼の行為には嘘がなかった。実直に生を全うしている人間の言葉に、エネルギーが感じられないわけがないんだ。

個人的に言えば、彼の全てに共感はできない。しかし、彼の哲学の本質は、報道が本来追求するところの中立性を放棄して、偏向的なひとつの思想(弱者側)に内在化することでしか得られないフィルターがあると確信している点にあるだろう。僕はその重要性と資料としての価値を深く理解できる(*1)。

そして実際、彼の写真のいくつかを見て、僕は涙を抑えることが出来なかった。

どこかで反抗が決起する時、そこには反抗者なりの正当性が必ずある。その中に入りこみ、問題を引き受けることでしか写せない写真。彼は自分の正しいと信じる(決して中立的ではない)方へあえて染まりきって、それを世界に付きつけてきた。

映画の良し悪しを僕は言えない。ただ、このような生き方によって敗戦後の日本を写した写真家がいたということに強い衝撃を受けてしまった。

ここに感謝の意を表明しておこうと思います。福島菊次郎さん、そして監督と製作に携わった多くの関係者の皆様、人間の生き様の貴重なひとつを見せていただきました。どうもありがとうございました。
*1) 安丸良夫著『出口なお―女性教祖と救済思想』あとがき

韓国人は韓国語で歌えばいいだろ

韓国ガールズグループは日本進出の時に歌詞をわざわざ日本語に変えることが多い。その作業によって魅力が著しく劣化するとなぜ気づかないのだろう。

一方でAKB48の姉妹ユニットにJKT48というのがいて、インドネシアのジャカルタを拠点に活動している。そこでは例えば「ヘビーローテーション」のインドネシア語版が歌われている。

一見似ているように思える両者の状況だけど、これらは音楽の解釈においては全く異なっている。個人的な音楽理解に則るなら、前者は許せないが、後者はむしろ真っ当であると言える。

重要なのは、歌手が自分の母国語で声を発する行為そのものにこそある。歌手が母国語で歌う価値、それは最も深く理解した言語だからこそ、言語の枠に収まらない「声」の持つ多彩な感情表現を活かせるということだ。

人は言語の持つ意味だけで他人の感情を理解しているわけではない。「どうもすみません」という謝罪だって、心もなく言えばそれは相手に全く異なった意味として伝わり、言語的な意味などもはや体を成していない。きっとほとんどの人が理解できる感覚ではないかと思う。

逆説的に言えば、聴く側には理解できない外国語でも、歌手(そして作詞家)が深く理解した言語に、その本質的な思いを込めているなら、言語を超えたところで聞き手により繊細な感情を届けられると僕は思っている。

だから僕に言わせれば、市場に合わせて言語を変更する行為は、気が利いているようで、その実全く逆効果にしかなっていない。韓国人の歌手・作詞家・作曲家による曲に日本語をあてがうセンスの無さは、僕に嫌悪感さえ抱かせるのだ。

これを念頭に置いて実際に曲を比較してみたい。

以下は韓国ガールズグループ「KARA - STEP」だが、韓国語版と日本語版を聴き比べて欲しい。

韓国語版


日本語版


その次にAKB48の「ヘビーローテーション」とJKT48の「ヘビーローテーション」を比べて欲しい。

AKB48版


JKT48版

※もしかしたら、このような類の曲に歌詞が関係あるのか。という反論はあるかもしれない。そして口パクではないかと。今の論点では、表現者が感情を反映させやすいのはどちらかという比較である。「歌詞の重要度や文学的レベル」そして「曲の収録方法」はそれほど関与しない。

僕にはどうしても、歌手が母国語で歌っている曲のほうから、言語にとらわれない魅力が伝わってくるのだが。そし…