韓国人は韓国語で歌えばいいだろ

韓国ガールズグループは日本進出の時に歌詞をわざわざ日本語に変えることが多い。その作業によって魅力が著しく劣化するとなぜ気づかないのだろう。

一方でAKB48の姉妹ユニットにJKT48というのがいて、インドネシアのジャカルタを拠点に活動している。そこでは例えば「ヘビーローテーション」のインドネシア語版が歌われている。

一見似ているように思える両者の状況だけど、これらは音楽の解釈においては全く異なっている。個人的な音楽理解に則るなら、前者は許せないが、後者はむしろ真っ当であると言える。

重要なのは、歌手が自分の母国語で声を発する行為そのものにこそある。歌手が母国語で歌う価値、それは最も深く理解した言語だからこそ、言語の枠に収まらない「声」の持つ多彩な感情表現を活かせるということだ。

人は言語の持つ意味だけで他人の感情を理解しているわけではない。「どうもすみません」という謝罪だって、心もなく言えばそれは相手に全く異なった意味として伝わり、言語的な意味などもはや体を成していない。きっとほとんどの人が理解できる感覚ではないかと思う。

逆説的に言えば、聴く側には理解できない外国語でも、歌手(そして作詞家)が深く理解した言語に、その本質的な思いを込めているなら、言語を超えたところで聞き手により繊細な感情を届けられると僕は思っている。

だから僕に言わせれば、市場に合わせて言語を変更する行為は、気が利いているようで、その実全く逆効果にしかなっていない。韓国人の歌手・作詞家・作曲家による曲に日本語をあてがうセンスの無さは、僕に嫌悪感さえ抱かせるのだ。

これを念頭に置いて実際に曲を比較してみたい。

以下は韓国ガールズグループ「KARA - STEP」だが、韓国語版と日本語版を聴き比べて欲しい。

韓国語版


日本語版


その次にAKB48の「ヘビーローテーション」とJKT48の「ヘビーローテーション」を比べて欲しい。

AKB48版


JKT48版

※もしかしたら、このような類の曲に歌詞が関係あるのか。という反論はあるかもしれない。そして口パクではないかと。今の論点では、表現者が感情を反映させやすいのはどちらかという比較である。「歌詞の重要度や文学的レベル」そして「曲の収録方法」はそれほど関与しない。

僕にはどうしても、歌手が母国語で歌っている曲のほうから、言語にとらわれない魅力が伝わってくるのだが。そしてどうしても、「KARA - STEP」の日本語版には嫌な違和感を感じてしまう。

韓国人は、韓国語で歌ってくれ。本当に。頼むから。

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