AKB握手会傷害事件の対応策が、さらなる悲劇を助長する可能性について

出典:外資系戦略コンサルタントの視点から見たアイドル・ビジネス

先日起きた「AKB握手会傷害事件」は、各方面に大きな衝撃をもたらしましたが、その一方で、「ついにきたか……」と感じた人が非常に多い事件でもありました。「握手会」の仕組みや運営方法に不安を抱いていた人もいたし、「会いにいけるアイドル」という近さに対して不安を抱いていた人もいます。

思慮を欠いた対応策が、さらなる悲劇を助長する

今回の一件によって、ほとんどすべてのアイドルグループが何かしらの対応を迫られるのは間違いありません。残念ながら、昨今のアイドルグループは「近さ」を戦略の主軸にしているからです。

ぼく個人が不安を抱くのは、「対応策」の程度です。「近さ」を売りにしていたからこそ、対応の方法は絶妙なバランス感覚を必要とするはずです。ようは恋愛のもつれからストーカーが生まれ、結果的に凄惨な事件にまで発展するケースに似ています。知っていますか、殺人事件というのは見知っている人間同士で起こることがほとんどです

これが心配のし過ぎだとは思いません。安易な対応がさらなる悲劇を誘発する可能性を、ぼくは排除すべきではないと思います。

ファンが蚊帳の外になるのは危険極まりない

対応策の方針を決める主導権がAKBとファンとにない状況は絶対にあってはなりません。最悪なのは、もし仮に行政や世間様みたい外圧がそれを主導してしまった場合です。行き場を失ったファンの鬱憤は溜まりに溜まって、ほんのすこしの亀裂から一気に流出するかもしれません。

AKBが多くの人間を「救っていた」事実を忘れてはいけない

AKB商法といって軽蔑の対象にしてしまうと見逃しがちになりますが、信仰なき現代社会において、AKBが「救い」として機能していたことは決して忘れてはいけません。現行の宗教がどれもカタチだけのお飾りに成り下がった結果として、近年は科学と経済が信仰をも請け負ってきたわけですが、そのような状況下でモーニング娘やAKBが提案して大成功したのが、拝金主義と偶像崇拝を紐帯して神秘性をまとった「救い」の形態でした。

つまり、「お金のために働く」「生命維持のための消費行動」という機械的な作業が、彼女たちを通じて信仰を強化する「価値のある行為=供儀」になったわけです。それは現行の宗教が提供できていない「ぼくの居場所はここ」という承認欲求を満たしうるものでした。

なので本当は「AKB商法」ではなく「AKB教」とでもいうなのべきです。

心に留め置くべきは、この形態は同時に非常に病的になりやすいということです。例えば、構造として似ているのはネトウヨがレイシストに至ったあの状況です。無闇に規制すれば、自己の否定に直結しかねず、それがまた、あの秋葉原通り魔事件のような悲劇につながりやしないかと、本気でハラハラしています。

多くの善意者をないがしろにするな

これがもっとも重要ですが、上記の話は、極めて特殊な状況を自分なりに解釈したものです。多くのファンは、事件などを起こしません。AKB教の信者的な側面は多少あるでしょうが、AKBメンバーの良きファンであり、良き理解者であろうとする善意の人たちです。1%の例外を防ぐために正常な99%の身動きまで封じるような大人社会の偽善がもたらすバカらしい対応は、百害あって一利なしであることを、そろそろ本気で理解してほしい。たった一人の異常の当て付けが、真面目な人間に適応されるなんていうのは笑えないギャグです。

ともかく、これが単なる杞憂に終わるような賢明な判断を期待します。

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